住所 | 〒605-0061 京都府京都市東山区白川筋三条下ル梅宮町475 |
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電話&FAX | TEL075-561-2806 |
旅館業法 | 簡易宿所営業 京都市認可第171号 |
館内備品 | テレビ、エアコン(2階2台、1階1台)、トイレ3ヶ所(ウォシュレット付き)、冷蔵庫、iHレンジ、食器類、電子レンジ、湯沸かしポット、洗濯機、乾燥機、Wi-Fi(接続無料) |
備え付けの食品 | 日本茶、紅茶、ドリップコーヒー |
アメニティー | バスタオル、フェイスタオル、歯ブラシ、ボディソープ、シャンプー、コンディショナー、ヘアードライヤー(3台)、※浴衣、パジャマはご用意いたしておりませんので各自ご持参ください。 |
チェックイン | 午後3時 |
チェックアウト | 午前11時 |
駐車場 | 普通車2台(無料、要予約) |
古くからこの地で店を構え、桔梗の家紋入りの「光秀饅頭」で知られております和菓子屋でございます。チェックインは先ずこちらへお越しください。お車のお客様は当店の一軒隣のガレージにお車を入れてください。
当店の横を入ってすぐに、私達が代々守ってきた明智光秀の塚がございます。
2020年にはNHKの大河ドラマとしては初めて智将・明智光秀を主役とし、その謎めいた前半生に光があてられ描かれる作品「麒麟(きりん)がくる」が放映され、多くの方が訪れていただきました。
明智光秀は、天正10年(1582)6月2日、織田信長を本能寺に襲撃した本能寺の変で有名です。
その後、6月13日、山崎合戦で秀吉軍に破れ、近江の坂本城に逃れる途中に小栗栖付近で襲われたと言われています。明治維新後にこの地に移されました。
餅寅に伝わる「惟任将軍光秀御墳墓略記」(版木)によれば「光秀は小栗栖で傷を負って自殺し、首をこの地に腹心が葬った」と誌してあります。
祠の入口に「明智光秀墳」とした碑があり弘化ニ巳年とあることから光秀の死後約250年を経て建てられたものとみえます。祠の原型はこの当時にできたものと思われます。
光秀を渇仰する人の増加により、参拝者の数も年々増加しております。